ふと急に
もしかしてLOLの人って、LOLを表の顔としてプレイしているのかもしれない
と思ったのでFANBOXにドラマツルギーについて書いた。
コーチング中に頻繁に思うのだけど、
どうやらここらへんを理解してないと、
人間は(人生に)勝てないようなのである。
- 人と話す能力
は評価されやすい。
それと似たような話になる。
ドラマツルギーとは、アーヴィング・ゴフマンによって提唱された社会学理論で、社会生活における人間の相互作用を演劇に見立てて分析するものです。
この理論では、人々は日常生活を舞台とし、それぞれの社会的役割を演じる俳優であると考えます。人々は、他者からの評価を意識しながら、望ましい印象を与えるように自己を演出します。この自己演出は、舞台であるフロントステージと、舞台裏であるバックステージを使い分けることで行われます。
フロントステージでは、観客である他者に対して理想的な自己像を演じ、バックステージでは素の自分に戻り緊張を緩めることができます。
ドラマツルギーは、日常生活における人間関係やコミュニケーションを理解する上で役立つだけでなく、マーケティングや組織行動論など、幅広い分野に応用されています。
Gemini Advanced
高名なEveさんの名曲と同じ名前なので、
知っている人は多いかもしれない。
- フロントステージ(表舞台)
ゴフマンは、人々が他者と接する社会的場面を舞台にたとえ、そこで行われる自己呈示をパフォーマンスと呼びました。このパフォーマンスが行われる場所がフロントステージです。
フロントステージでは、私たちは観客である他者に対して望ましい印象を与えるように行動します。たとえば、店員が顧客に対して丁寧な接客をするのは、店の評判を維持し、顧客満足度を高めるためです。私たちは、社会的役割、外見、言葉遣いなどを適切に管理することで、他者からの評価をコントロールしようとします。
- バックステージ(裏舞台)
バックステージは、観客である他者の視線が届かない場所です。ここでは、フロントステージで見せている仮面をはずし、本当の自分に戻ることができます。
バックステージでは、感情を自由に表現したり、リラックスしたり、準備をしたりすることができます。店員が休憩室で同僚と愚痴をこぼしたり、役者が舞台裏で衣装を着替えたりするのは、バックステージでの行動の例です。
- オフステージ
オフステージは、特定の観客を想定しない、よりプライベートな空間です。ここでは、社会的な役割や義務から解放され、より自由に振る舞うことができます。
オフステージは、家族や親しい友人と過ごす時間や、一人でリラックスする時間などです。私たちは、オフステージで自分自身と向き合い、感情を整理したり、将来について考えたりすることができます。
Gemini Advanced
今回の記事では、
「オフステージはバックステージに含まれる」
と考えて書く。
つまり
- フロントステージとバックステージの2つに分けて説明する
という形式で書いていく。
この記事はパッチ14.16の時に執筆されました。
中学生の時は常にバックステージの振る舞いだった
まったく自己を演出しなかった。
一般的にフロントステージでバックステージのように振る舞った場合、
魅力的に見えないどころか、
酷くカッコ悪く見えてしまう。
わかりやすく言えば
- 舐められる人
となる。
「何もわからない人」だったわけだ。
初めてフロントステージでの振る舞いを知った時
高校生になって女性にモテようと思った時、
初めて
- 「自分を演出する」
みたいな意識が浮かんできた。
「人間は趣味の良さという通貨を競って争っている」
ブルデューのセリフだが、
ほとんど同じと言える。
LOLの試合中は一般的にバックステージである
- 感情を自由に表現する
- 言葉づかいを管理しない
- 他者からの評価をコントロールしようとしない
ゲーム内で他の味方4人は、
基本的には醜く見えるはずだ。
その人が試合中に醜い行動をしていなくとも、
一般的な心境としてカッコいいとは思えない。
- 「クソ4人とチームを組んで、クソ5人の敵チームを倒す」
最初はこんな印象から始まるのが普通だし、
それが健康的だ。
強さとは相対的なものなので、
試合が始まると
- エースパイロット
- 数合わせのMOB
- どうして同じ部屋にいるのかわからないヘタクソ
こんな感じに分かれていく。
3 大体サポート、ボット、ジャングル。
この三つのロールであることが多い。
ハッキリ理由があるのだけど、
この記事では書かない。
LOLの試合中にフロントステージなのは配信者だけが望ましい。
友人関係もバックステージ
友人に対して
- 望ましい印象を与えるように行動する
- 社会的役割、外見、言葉遣いを管理する
こういうことをする人がいれば、
「何もわかってないヤツ」
となる。
普通そういう間柄を友人とは呼ばないからだ。
相手が印象をコントロールしようとしてないのに、自分だけコントロールしようとするのは、疲れるので長続きしない。
みんながバックステージなのにフロントステージとして振る舞ってはいけない
真面目すぎる人に多く見られる気がする。
LOLの試合中に
- 感情を自由に表現しない
- 言葉づかいを管理する
- 他者からの評価をコントロールしようとする
こういったことをしようとすれば、
LOLの試合自体ができなくなる。
たまにブログのコメント欄に
「LOLでランクマッチをするのが怖くってプレイできない」
と書く人がいる。
「レベル2桁なら行かないほうがいいだろ。
公式もそんなこと言ってたぞ」
と返せばいいのだけど、
そうじゃない場合、
フロントステージとして振る舞おうとしているのだろう。
その場合は、
勝ち目がない戦いとなる。
- どんなに丁寧に振る舞っても、クソだと思われるに決まっている
からだ。
みんながフロントステージなのにバックステージとして振る舞ってはいけない
例えば食事作法に関して、家庭のしつけによって「音を立てずにスープを飲む」というマナーを身に着けている人は、そうした振る舞い方を身体的な必然として内面化しているので、別の領域、たとえば衣服に関しても、場をわきまえた奇矯な格好をすることはなく、他人に不快感を与えないように配慮した節度のある服装をすることが予想されるでしょう。
ブルデュー『ディスタンクシオン』講義
どうして中学生の私が常にバックステージだったのか?
- 大半の人に気を許していた
- 社会化されていなかった
- 根気がなかった
いろいろ考えられる。
近年だとTwitterがわかりやすい。
一般的に大半の人は、
フロントステージとして振る舞っている。
バックステージとして振る舞うには、
鍵アカウントにするしかないかもしれない。
※ 私は鍵を付けたことがないからわからない。
バックステージとして振る舞うとどうなるのか?
- 周りから見て、とんでもなく醜く見えてしまう
これはその人が醜いのではなく、
- 「周りの人全員がカッコつけているので、カッコ付けてない人は醜く見える」
というだけの仕組みだ。
中学生時代の私は、
少し優しすぎる人だったのだと思う。
「戦いは卑怯で醜いのが当たり前」
という大前提がわかってなかった。
終わり
- ドラマツルギーとは、社会生活における人間の相互作用を演劇に見立てて分析する社会学理論である
- 人々は日常生活を舞台とし、それぞれの社会的役割を演じる俳優である
- 人々は他者からの評価を意識しながら、望ましい印象を与えるように自己を演出する
- 自己演出は、舞台であるフロントステージと、舞台裏であるバックステージを使い分けることで行われる
- フロントステージでは、観客である他者に対して理想的な自己像を演じ、バックステージでは素の自分に戻り緊張を緩めることができる
- LOLの試合中は一般的にバックステージである
- LOLの試合中にフロントステージなのは配信者だけが望ましい
- 友人関係もバックステージである
- みんながバックステージなのにフロントステージとして振る舞ってはいけない
- みんながフロントステージなのにバックステージとして振る舞ってはいけない
>人々は日常生活を舞台とし、それぞれの社会的役割を演じる俳優である
上の項目を見た時
- 「俳優みたいな男の人って少ないですよね?」
と思わず敬語でつぶやいてしまったかもしれない。
これは理由は単純で、
- 「俳優のような外見を維持するのは大変だから」
である。
知識、根気、元気、熱意が必要になってくるからだ。
世の中では一般的に
- 身につけるのが大変なこと
は趣味がいいとされることが多い。
アーヴィング・ゴフマンのドラマツルギーを知っている人は少ないが、
大半の人がこういった動きを上手に行うことができる。
特別に熱意や知能が高くなくとも、
大半の人がうまくやるので、
人間は中々侮れない。
LOLで例えるならば、
全員ダイヤモンドくらいの実力があると決めつけていい。
というわけでLOL中はBANされない程度に、
自分をさらけ出していこう。