あなたはADCでケイトリンをしているとしよう。
隣のサポートはモルガナだ。
ケイトリンは初心者でもない限り思い通りの動きをするが、モルガナは当てにならない。
コレは当たり前の話で、LOLを一回もやったことがない人でもわかる。
ところが自分自身は、ケイトリンではなくモルガナに近い、という話をする。
この記事はパッチ11.11の時に執筆されました。
自分自身は操作できない
10の認知の歪みの1つに、個人化というものがある。
良くない出来事が起こった時に、自分に責任がないような場合でも自分のせいにしてしまうこと。
個人化が起こる原因は、他人に対しての「影響」と「操作」を一緒にして考えているからだ。
しかしコレだけでは、個人化が起こるのは避けられないことに気づいた。
何故ならば、そもそも自分をコントロール(操作)することが出来ないからだ。
自分自身に対しても、操作するより影響を与える方法が望ましい。
まず味方に回復阻害アイテムを買って欲しい時にどうするべきか、パターンを考えてみよう。
味方に回復阻害アイテムを買わせたい場合
上から順番に直接的
- 「回復阻害アイテムを買え」と直接言う
- 回復阻害アイテムの名前をチャット欄に表示させる
- 回復阻害アイテムが有効な敵の名前をチャット欄に表示させる
1ほど操作に近く、3ほど影響に近い。
ただ3は気づきにくいので、試合中なら2が現実的だろう。
私達の本能は、操作するのが好きで、コレをコントロール感という。
コントロール感を得るには、「人からコントロールされているな」と感じてはいけないので、1よりも2ほうが効果的なのは、あなたも納得だろう。
言うほうは気持ちいいけど、言われたほうは腹が立つ。だから1の方法は良くない。
しかし自分自身に対しては、普通1じゃないだろうか?
他人は1では動かない(操作できない)と知っているのに、どうして自分は1で動く(操作できる)と思ってしまうのか。
※ おそらくやったほうが良いことは、自分が望んでいるのではなく、社会が望んでいることなので反発が生まれるのだろう。しかし社会学の話になるので、今回の記事ではこの辺で留めておく。
我々は自分のことはコントロールできると当たり前に考えているが、よく考えると自分が操作するチャンピオンと違って、自分自身はコントロールできない。
LOLに当てはめて考えれば確実にわかるのだけど、一度も使ったことがない新チャンピオンのほうが、普段の自分よりも思った通りに動くではないか。
普段の我々をLOLに例えると、ボットレーンに向かおうとしているのに、わざわざ敵のジャングルを抜けて、敵のミッドセカンドタワーに突っ込む。
人間は論理的に正しく動かない。
脳は機械と違って、同じ脳みそに同じ入力をしても、毎回出力が違うからなんだそうだ。
説得の本によると確実に説得できる方法はない
我々が人に対して何かお願いする時、確実に通る方法はない。
〇〇をして欲しいという可能性がある時は、説得の世界によると「見込みがある」というそうだ。
確実に相手を説得できる方法があると思っている人は滅多にいないので、この発想はわかりやすい。
しかし自分に対してはどうだろうか?
夏休みの宿題が出来なければ、自分の意思が弱いと思ってしまうのでは?
夏休みの宿題 個人化編
自分自身をケイトリンだと思うと、次の結果になる可能性が高い。
目標
- 夏休みの宿題を終わらせる
目標を達成するための工夫(操作)
- 自分を完璧にコントロールできるので、工夫や計画は必要ない
結果
- 終わらないどころか、手すら付けていない
全くやる気がなく、こういった結果なら、全然おかしくない。
しかし人間は終わらせようという気持ちがあるにも関わらず、このような結果になることが多い。
夏休みの宿題に限らず、大抵のことがこういった結果になる。
当然、罪悪感を感じる。
※ あまり関係ないが、○○感を感じるという表現は、○○感が名詞なので正しい。
自分のことは完璧にコントロールできると思っているから、こういった結果になり、さらに罪悪感まで感じるわけだ。
夏休みの宿題 賢者編
目標
- 毎日決まったページを消化してから遊ぶ
目標を達成しやすくするための工夫(影響)
- うまい酒とツマミを用意しておく
- 見たい漫画や動画などを用意しておく
- 前日から、すぐに取りかかれるよう準備をしておく
結果
- 終わる
目標を達成するのは難しそうだが、自分に影響を与える工夫がたくさんあればあるほど、宿題を消化してくれる見込みが高まる。
トップレーンのタイマンで勝つには、勝ちやすくする工夫がたくさんあるほうが勝ちやすいのと同じだ。
ガレンにはケイル出せば勝てるというのは、工夫の1つにすぎず、それだけで勝てるわけではない。
でも我々は、Aすれば確実にBするっていう論調が好きなので、気を付けたい。
そんな単純な方法で確実に勝てるゲームがあるならば、みんな何百時間もプレイしないだろう。
やることリスト・やらないことリスト
基本的に後者のやらないことリストのほうが優れている。
リストがいくら増えても問題ないからだ。
漫画や小説で、3回くらい見たありきたりな表現がある。
炎の魔法と氷の魔法がぶつかる時に、炎の魔法のほうが強いという話だ。
「氷には絶対零度があるが、炎の温度に上限はない」
って周りの解説君が説明するパターンである。
やることリスト・やらないことリストの関係は、氷と炎の関係に似ている。
なので影響を与える工夫は、なるべくやらないこと(避ければ済むこと)を書いたほうが良いのかなと思う。
終わりに
- 操作しているチャンピオンは思い通りに動く
- 他の人が操作しているチャンピオンは動かない
- ところが自分自身も思い通りに動かない
- 自分に対しても影響と操作は分けたほうがいい
- 自分自身を操作できると思うと影響を与える工夫をしない
- やることリスト・やらないことリストは後者が優れている
10の認知の歪みの1つに、個人化というものがある。
良くない出来事が起こった時に、自分に責任がないような場合でも自分のせいにしてしまうこと。
個人化が起こる原因は、他人に対しての「影響」と「操作」を一緒にして考えているからだ。
他人に対してだけでなく、自分に対しても影響と操作を分けよう。という話だ。
意志力(操作)を当てにせず、影響を増やしたほうが賢明で、自分はコントロール出来ないと知っておくのが良いだろう。
ゲームが上手な人ほどコントロール感が強く、悪夢を見ないそうだ。
しかしその全能なるコントロール感は、ゲーム外(日常生活)では大きく足を引っ張る。
何を隠そう私がそうだった。