広告 考察記事

LoLで伸び悩む人は"仕事"をしている|遊戯的態度が上達を分ける

「勝ちたいだけ」で結果しか見ずにプレイする人が伸び悩むのはなぜか。哲学者バーナード・スーツ『ザ・グラスホッパー』(邦訳『キリギリスの哲学』)の「ゲームをプレイすること」の定義から、その理由を読み解く。難しさをコストとして切り捨てる姿勢と、レートを目的化する姿勢が、上達を止めている。

LoLをやっていると、同じくらいの練習量なのに、なぜかずっと下手なままの人がいる。共通点を挙げるなら、「LoLを仕事のようにプレイしている」ことだ。逆に、伸びる人は良い意味で「LoLを遊んでいる」。

もう少し具体的に言うと、こういうことだ。試合が終わった瞬間に真っ先にLPの増減を確認し、負ければ即座に味方を責めて次の試合に進む。連敗するとキューを閉じ、逆に連勝している間は「勝率が落ちるかもしれない」という理由で新しいチャンピオンや慣れないロールを試さない。リプレイを見返す習慣はなく、「なぜ負けたか」より「今日はもうこれ以上ランクを削られたくない」ということしか頭にない。心当たりがある人は、少なくない数いるはずだ。

この差は根性論やセンスの話ではない。哲学者バーナード・スーツが1978年に書いた『ザ・グラスホッパー』という本には、「そもそもゲームをプレイするとはどういうことか」を厳密に定義した議論がある。この定義に沿って考えると、「仕事のようにプレイする人」が下手になる理由、そして「レートを上げること」を目的にした瞬間に何が起きているのかが、驚くほど明快に説明できる。

「仕事のようにプレイする」とは何か

想像してみてほしい。ゴルフをしている人が、ボールを穴に入れるという目的だけを果たしたいなら、わざわざクラブを振る必要はない。ボールを拾い上げて、歩いて行って、手で穴に落とせばいい。誰でもすぐに「ボールがカップに入る」という結果が達成できる。

だが、それを見て「ゴルフをした」と思う人はいないだろう。目的地に着くことしか見ていない人にとって、クラブも、フェアウェイも、バンカーも、すべて邪魔なコストでしかない。「仕事のようにLoLをプレイする人」がやっているのは、まさにこれだ。

ネクサスを壊すという結果にしか興味がないなら、そこに至るまでの過程が、本来は最も面白いはずの部分なのに、単なる「勝つために仕方なく通過する障害物」に成り下がってしまう。

この「クラブを使わずに手で入れる」ことを拒否する態度こそが、実はゲームを成立させている。

この点は後の章で詳しく扱うが、ひとまずここでは、「仕事のようにプレイする」を次のように定義しておく。

ゲームを純粋な手段、つまり

  • 勝利
  • ランク
  • 収益

のためだけの道具として扱う姿勢のことだ。

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結果だけを見る思考

このタイプのプレイヤーは、常に「勝てるかどうか」だけを判断基準にする。1試合1試合の中身、つまり自分がどう考え、どう選択し、どこで間違えたかというプロセスへの関心が薄い。勝てば満足し、負ければ味方や運のせいにして終わる。プロセスを振り返らないので、当然ながら学習も進まない。

勝敗がLoLの評価軸である以上、結果を重視すること自体は間違っていない。問題は、結果しか見ない人ほど、その結果が出ないことだ。次の試合で勝つために必要なのは「勝ったか負けたか」ではなく「なぜそうなったか」の分析なのに、結果だけを見る人はこの工程を丸ごと飛ばしてしまう。

勝ちたいと言いながら、勝つために必要なことをしていない。こういうプレイヤーは外から見れば一瞬でわかるし、わからないのは本人だけだ。

難易度を"コスト"として処理する姿勢

もう一つの特徴は、ゲームが要求してくる「難しさ」そのものを、早く消化すべき面倒なコストとして扱うことだ。

LoLの難しさが分かりやすく表れるのが、エメラルド帯だ。「最も混沌としているレートはエメラルドである」と世界中で言われている。理由は次の通りだ。

エメラルドの試合は、実力も試合の質もバラバラで、簡単には勝たせてもらえない。マスター以上の実力の人ですら、スケーリングの高いチャンピオンを使わないと勝てない。それほど、LoLは「難しさ」を突きつけてくるゲームだ。

ところが、仕事のようにプレイする人は、この難しさを乗り越える対象ではなく、できれば避けたいコストとして扱う。ラストヒット練習も、ドレイヴンのアックスキャッチも、リプレイ確認も、マッチアップも、「本当はやりたくないが、勝つためには仕方なくやる作業」という位置づけになる。義務としてこなす作業は、身が入らず、質も上がらない。これは実際の仕事における「やらされ仕事」と何も変わらない。

中盤以降レーンを押さないレーナーが珍しくなく、「そのレベルが混ざってたら、ジャングル以外だとカバーできないよな」いつも思う。
レーナーだと自分のレーンを押す役割があるからだ。

バーナード・スーツ『ザ・グラスホッパー』とは

ゲームとは何かを定義した哲学書

『ザ・グラスホッパー(The Grasshopper: Games, Life and Utopia)』は、カナダ・ウォータールー大学の哲学教授だったバーナード・スーツが1978年に発表した著作で、日本語訳は『キリギリスの哲学:ゲームプレイと理想の人生』(川谷茂樹・山田貴裕訳、ナカニシヤ出版、2015年)として刊行されている。テーマは一つ、「ゲームをプレイするとはどういう活動か」を哲学的に厳密に定義することだ。

「ゲームなんて人それぞれで、定義できるものではない」と思われがちだ。スーツはそこに真っ向から反論し、あらゆるゲームに共通する構造を提示してみせた。ゴルフでも、登山でも、じゃんけんでも、チェスでも、この構造は変わらない。そしてこの構造は、LoLにもそのまま当てはまる。

この本のもう一つの特徴は、堅苦しい哲学書とはまるで違う語り口にある。プラトンの対話篇を下敷きにしつつ、ユーモアに満ちた寓話形式で書かれており、笑いながら読めるのに、議論の緻密さは一切妥協していない。だからこそ半世紀近く経った今も、スポーツ哲学・ゲーム研究の古典として読み継がれている。

「アリとキリギリス」の寓話が下敷きにある

本書はイソップ寓話「アリとキリギリス」のパロディとして書かれている。冬に備えて働き続けたアリと、夏の間ずっと遊び続けて死にかけているキリギリスが対話する形式だ。物語の冒頭、キリギリスは冬を迎えて餓死しかけている。弟子たちは食料を差し出すが、キリギリスはそれを拒み、自分の生き方――遊ぶことそのものに価値を置く生き方――を最後まで擁護しながら死んでいく。もし冬というものがそもそも存在しなかったら、キリギリスが痛い目を見ることも、アリが「ほら見たことか」と勝ち誇ることもなかっただろう、という皮肉な指摘も本書には出てくる。

働くこと(労働=仕事)と、遊ぶこと(プレイ)は何が違うのか、そしてどちらが人間にとって本質的に価値があるのか。この対立構造こそ、「仕事のようにプレイする人」と「遊ぶようにプレイする人」の違いを考えるうえでの土台になっている。

ゲームをプレイするための3条件

スーツは、「ゲームをプレイする」という活動が成立するために必要な3つの要素を提示した。この3つが揃って初めて、その活動は「ゲームをプレイしている」と言える。

前遊戯的ゴール──ゲーム外でも意味を持つ目標

ゲームには必ず、ゲームの外でも理解できる目標がある。ゴルフなら「ボールを穴に入れること」、登山なら「山頂に立つこと」、LoLなら「相手のネクサスを破壊すること」だ。これを前遊戯的ゴール(prelusory goal)と呼ぶ。

ここで注意したいのは、「レートを上げること」はこの前遊戯的ゴールには含まれない、という点だ。

1試合のLoLにおける前遊戯的ゴールは、あくまで「相手のネクサスを破壊すること」であり、これはそのゲームの中で完結し、ゲームが終われば消える目標だ。一方でレートやLPは、Riotが個々の試合の外側に後付けで用意した、勝敗を積み重ねて数値化するための仕組みにすぎない。この違いは、後述する「純粋なプロ」の話と直結してくる。

構成的ルール──あえて非効率な手段を強制する仕組み

目標を達成する手段には、本来もっと効率的な方法があるはずだ。ゴルフならボールを手で持って穴まで運べば一瞬で終わる。登山ならヘリコプターで山頂に降ろしてもらえばいい。しかしルールはそれを禁じる。ゴルフはクラブで、決められた場所からしか打ってはいけないと定め、登山は自分の足で登ることを前提にする。この「あえて効率の悪い手段しか許さない」仕組みが構成的ルール(constitutive rules)だ。

LoLで言えば、敵陣に瞬間移動して直接ネクサスを殴ることは許されず、レーン・ジャングル・タワーという構造を通じてしか勝利にたどり着けない設計そのものが、これにあたる。

※ ミニオンを無視してタワーを殴ることをバックドアというのだが、大昔はそういう戦術がLoLにもあった。APマスターイーとかAPトリンダメアとか。サイオンの復活時の打ちこわしに補正が入った辺りで完全に消えた。

タワーがある理由、ミニオンが必要な理由、リコールに時間がかかる理由——これらはすべて「もっと効率的な近道」を意図的に塞ぐための仕組みだ。「なぜこんな面倒な制約があるのか」ではなく、「この制約があるからこそLoLというゲームが成立している」と捉え直すことが、次の要素を理解する鍵になる。

遊戯的態度(lusory attitude)──ルールを進んで受け入れる態度

前遊戯的ゴールと構成的ルールの2つだけでは、実はまだ「プレイ」は成立しない。スーツはここに面白い例を出す。農家が、本当は機械を使いたいのに買う金がなく、仕方なく手作業で畑を耕しているとする。これは「非効率な手段しか使えない」という点でゴルフと同じ構造だが、誰もこれを「農家がゲームをプレイしている」とは言わない。なぜなら、その人はルールを望んで受け入れているのではなく、仕方なく従わされているだけだからだ。

この違いを説明するのが3つ目の要素、遊戯的態度だ。ルールが活動を可能にしてくれるからこそ、そのルールを自ら進んで受け入れる態度のことを指す。ゴルファーはクラブでしか打てないという不便を、それがあるからこそゴルフになるのだと理解したうえで、自発的に受け入れている。スーツ自身の言葉を要約すれば、ゲームをプレイするとは、不要な障害を自ら進んで乗り越えようとする行為だ、ということになる。

前遊戯的ゴールと構成的ルールは、誰にとってもLoLである以上まったく同じものだ。違いが出るのは遊戯的態度、つまり「その制約をどう受け止めるか」だけである。ここに、上手いプレイヤーと下手なプレイヤーを分ける最初のヒントがある。

「プレイしている」のに「プレイしていない」──"純粋なプロ"のパラドックス

ここからが本題に直結する部分だ。スーツは議論を進める中で、意外な事実を指摘している。

報酬のためだけにルールに従う人

賞金のためだけにゴルフをする「純粋なプロ」を考えてみる。彼はゴルフそのものには何の関心もなく、金のためだけにルールを守っている。だがそれでも、彼は広い意味では遊戯的態度を持っているとスーツは言う。金を稼ぐにはゴルフをするしかなく、ゴルフをするにはルールに従うしかない以上、彼はルールを受け入れているからだ。だから彼は「ゴルフをプレイしている」とは言える。

しかしスーツはここで踏み込んだ指摘をする。純粋なプロは、ゲームをプレイしてはいるが、実は「プレイ」してはいない。つまり彼は"働いて"いるのだ。

難しさそのものを愛する人

本当の意味で「プレイの中にいる」ためには、より狭い意味の遊戯的態度が必要になる。

それは、ルールをただ活動可能にする手段として受け入れるのではなく、そのルールが活動を難しくしてくれるからこそ受け入れる、という態度だ。難しさそのものを、乗り越える価値のあるものとして愛する姿勢と言い換えてもいい。

金のためだけにゴルフをする人と、ゴルフというゲームの難しさそのものを愛して取り組む人。ルールへの表面的な服従は同じでも、内実はまったく別物になる。

レート至上主義という"仕事"の正体

この「純粋なプロ」の話は、LoLにおける「レートを上げることだけを目的にしている人」にそのまま当てはまる。整理するとこうなる。

賞金のためだけにゴルフをする人が「ゴルフをするにはルールに従うしかないから従う」のと同じように、レートを上げるためだけにLoLをしている人は「LPを稼ぐにはLoLのルールに従うしかないから従う」。この意味で彼は広義の遊戯的態度を持っており、たしかにLoLを「プレイしている」とは言える。

だが彼が本当に関心を持っているのは、ネクサス破壊という前遊戯的ゴールでも、そこに至るまでの過程の難しさでもない。関心があるのは、画面の外にあるLPという数字、つまりRiotが後付けで用意した外部の報酬だけだ。

ここでスーツの指摘を思い出してほしい。純粋なプロは、ゲームをプレイしてはいるが、実は"プレイ"してはいない。レートを目的化したプレイヤーもまったく同じ構造にいる。LoLをプレイしてはいるが、"プレイ"してはいない。レートを目的化した瞬間、その人にとってLoLは仕事になる。

この状態にあるプレイヤーには、共通した行動パターンが見られる。負けた試合の中身を検討する前にLP表示だけを確認する。勝率を落としたくないという理由だけで、上達に必要な新しいロールやチャンピオンの練習を避ける。

味方を「自分のLPを奪った加害者」のように扱い、非難を繰り返す。逆に、目標のレートに到達した瞬間、その日はもうゲームへの関心を失う。どれも、賃金分だけ働いて即座に退勤するサラリーマンの姿と驚くほどよく似ている。

興味深いのは、実際に生計を賭けて戦っているプロプレイヤーの多くが、このパラドックスから抜け出している点だ。

彼らのカリキュラムには、賞金にも順位表にも直結しないスクリム(練習試合)や、地味なリプレイ確認が大量に含まれている。それを苦役としてではなく、ゲームそのものの難しさへの挑戦として楽しめる選手ほど、結果的に長く第一線に留まる傾向がある。

逆に、レートや契約金という外部報酬にしか興味を持てない選手は、伸び悩みや燃え尽きに陥りやすい。狭い意味の遊戯的態度、つまり難しさそのものを愛する姿勢を持っているかどうかが、アマチュアとプロを問わず結果を分けている。

なぜ"仕事化"したプレイヤーはヘタクソになるのか

この構造をLoLに当てはめると、「仕事のようにプレイする人が下手になる理由」が見えてくる。

難易度=乗り越えるべき喜びではなく、排除すべき障害になる

LoLの動き方は本質的に難しい。

まず全チャンピオンのスキル、全アイテム、全ルーンを覚えなければいけないこと。

次に無意識にアタックムーブができる必要がある(昔は出来る人が少なかったが、今は出来なければ友人達とメイヘムすらできない)。

全ての行動に「ミニマップを見る」を挟みながら、高いEQも必要だ。

このちょっとした敷居の高さ、実はLoLというゲームの価値の中心だ。

しかし「仕事のようにプレイする人」は、この難しさを「排除できるならしたいコスト」として扱う。

だから、難しい局面を丁寧に読み解く代わりに、単純なテンプレートや決め打ちのルーティンに逃げ込む。難しさから逃げた瞬間、上達に必要な負荷そのものが消えてしまう。

具体的には、次のような行動に表れる。

自発的な行動をしない人は多いのだが、「本当に自発的ならばLoLはしてないんじゃない?」とも思うので、あまり厳しく言えない。

結果への執着がメンタルとプレイの質を落とす

結果だけを見る思考は、当然メンタル面にも直結する。

1つのミスで勝率が揺らぐたびに強く動揺し、いわゆるティルト状態に陥りやすくなる。プロセスへの関心がないぶん、負けを次に活かす回路がなく、同じ失敗を繰り返しやすい。というか、仕組み的に繰り返し続ける。

結果への執着は、皮肉なことに結果そのものを遠ざける。

この悪循環は次のように進む。負ける→LPが減る→焦る→冷静な判断ができなくなる→さらに負ける→さらに焦る。

この連鎖の中にいる限り、どれだけ試合数をこなしても実力は上がらない。

試合数だけが増えて、上達がまったく伴わないプレイヤーは、この連鎖にはまり込んでいる可能性が高い。

もちろんグランドマスター以上には定員があるので「マスター以下の人に当てはまる」と書いておこう。

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自発的に難しさへ向かえるかどうかが練習の質を決める

上達の量と質は、結局のところ「どれだけ自発的に難しい局面へ向き合えるか」で決まる。

義務として渋々こなす練習と、難しさそのものを面白がって取り組む練習では、同じ時間をかけても定着率がまったく違う。前遊戯的ゴール(勝利)と構成的ルール(LoLというゲームデザイン)は誰にとっても同じだが、遊戯的態度、つまり難しさをどう受け止めるかだけは、プレイヤー自身の姿勢次第で変わる。

伸びる人と伸びない人の分岐点は、まさにここにある。

仕事化から抜け出すための3つの視点

「遊ぶようにプレイしろ」と言われても、何をすればいいのか分からない。ここでは、明日のランクから試せる行動に落とし込む。

1. どうして、そうなったのか考える

よく「負けた時に何をしていいかわからない」ということを言う人がいる。

上の質問への定番の返しは「そういう状況にならないようにしろ」だ。

しかし人間には、防衛機制と呼ばれる心の働きがある。自分にとって受け入れがたい情報を意識から締め出す抑圧は、その代表例だ。負けた試合には、「自分の判断や技術に問題があった」という、まさに受け入れがたい情報が含まれている。

初心者や一般的なプレイヤーが気にするのは、「自分の知能は世間一般よりも低いのではないか」ということだ。

例えば我々がインターネットカラオケマンを始めるとしたら、まず気にするのは「自分の歌唱力が世間に受け入れられるかどうか」だろう。LoLで大事なのは、どちらかというとIQではなくEQだが、エメラルドくらいなければ、それすらわからない。

※ 「EQが低い」は日本だと悪口にならないので、IQとか「知能が低い」とゲーム内では言う。

感情が激しく動くのは、守りたいものが脅かされたときだ。相手が強いから腹が立つのではない。相手の存在が、自分の「受け入れがたい情報」を突きつけてくるから腹が立つのである。

しかも、脅威になりやすいのは自分に近い立場の相手だ。同世代、同じレート帯、同じロールといった相手は、比較の対象として最も近い。格上の有名選手に負けても人はあまり傷つかないが、大差ないはずの相手に負けると、「自分の能力の問題ではないか」という疑いが避けられなくなる。

LoLは、この疑いを毎試合、LPという数字で突きつけてくる。ランクは、知能を含めた自分の能力の採点表として読めてしまうのだ。そこで脳は防衛に入る。味方のせいにする。相手のせいにする。運のせいにする。どれも「自分の判断や技術に問題があった」という情報を意識から遠ざける動きであり、弱さではなく人間として正常な反応だ。ただし、正常だからこそ、放置すれば毎試合同じ回避が繰り返される。

だから「何をしていいかわからない」の正体は、分析能力の不足ではなく、見ることの回避であることが多い。「そういう状況にならないようにしろ」という定番の返しが役に立たないのも、同じ理由だ。

負けを見るなと言っているに等しく、抑圧をさらに強めるだけである。

必要なのは、負けを意識から追い出すことではなく、受け入れがたい情報のサイズを小さくすることだ。負けを「自分はダメだ」という一つの巨大な結論として受け取ると、そこには感情しか残らない。だが分解すれば、受け入れがたいのは負けの全体ではなく、ごく一部だと分かる。

負けを避けるべき損失として処理する人は、この工程を丸ごと飛ばす。遊ぶようにプレイする人にとっては、ここがゲームでいちばん手応えのある部分になる。

実際に「自分のできない部分を探す」という方法が有効なのは上級者だけである。
LoLだと最低マスター到達くらいはないと、その方法は厳しいだろう。

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2. 解決方法を考える

原因を分解できたら、次は戦術を増やす。マッチアップは難しすぎるので、ジャングルの話を書こう。

先ほどのエメラルドの試合の話だが、マスター・イーやベル=ヴェスのようなスケーリングが特別に高いチャンピオンじゃなくとも、試合に勝ち続ける方法がある。

  • キーストーンを魂の収穫にする

という手法だ。

ザック、ウディア、レク=サイなど、スケーリングがイマイチなチャンピオンに入れてみよう。

30スタック以上溜まる上に第六感も使えるので、一周目の戦術の幅も広がる。

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「マスター・イーを使えば、誰でもすぐマスターになれる🤓」

このセリフは耳にタコだし、誰もが納得する。

しかし、実際になった初心者の話、少なくとも私は聞いたことがない。

マスター・イーは、ゴルフボールを手で持つ行為に近い。
レートの低い試合ほど強いのもあるが、1周目フルクリア以外の選択肢が取りにくいためだろう。

3. 連敗したら、やり方を変えるか離れる

連敗中は成績が落ちやすい。これは大規模なデータ研究でも報告されている。2024年に発表された、LoLの上位プレイヤー(トップレーンの意味ではなく、ランク上位者のこと)の約59万試合を分析した研究では、連敗と成績低下の間に有意な相関が見られた(Deng et al., 2024)。ただし相関は小さく、「連敗したら必ず崩れる」という話ではない。

一般的に「2連敗したら勝率は大きく下がる」と言われているが、この研究の対象は上位プレイヤーだ。そういう影響が小さく出るのは不思議ではない。一般のランク帯とは違う。

同じ研究で興味深いのは、連勝中は同じチャンピオンとレーンを続け、連敗中は切り替える傾向があるという点だ。負けが続いたときに、同じ状況に同じやり方で突っ込み続けるのではなく、やり方を変える。これが、遊ぶようにプレイする人の動きに近い。

ここで、前の2つの視点が生きてくる。負けの原因を分解し、解決策の候補を持っていれば、連敗中にすることは「LPを守る」ではなく「次の一手を試す」に変わる。チャンピオンを変える、ロールを変える、レーンでの動き方を1つだけ変える。どれも、難しさに向き合う行動だ。

もう1つの選択肢は、離れることだ。公式フォーラムとRedditの約770スレッドを分析した2018年の質的研究では、連勝・連敗はどちらもプレイ体験を損ない、プレイヤーの主な対処法の一つはゲームから距離を置くことだった(Kou et al., 2018)。離れるのは逃げではなく、状態を戻すための立派な対処になる。

私たちの日常生活はどうだろう。
気持ち的には、連敗に近いのではないだろうか?
連勝が自分の日常体験を損なったことは、人生で一度だけある。

終わりに:上達したいなら、まず「遊べ」

『ザ・グラスホッパー』は最終的に、こう論じる。もし人間があらゆる労働から解放された理想の世界(ユートピア)があるとすれば、そこで人々が最も熱心に取り組む活動は、ほかでもなく「ゲームをプレイすること」だろう、と。生活のための労働がすべて消えたとき、人は難しさを避けるどころか、あえて難しい制約を自分から選び、それを乗り越えること自体に喜びを見出す。難しさを愛することこそが、スーツの言う遊びの本質であり、人間の理想の姿でもある。

もちろん、現実のランクマッチには生活も、承認欲求も、時には収益も絡んでくる。レートを完全に無視しろという話ではない。だが『ザ・グラスホッパー』の議論をLoLに置き換えると、結論はシンプルだ。ランクを上げたいなら、ランクだけを見るのをやめたほうがいい。難しい局面を「早く片付けたい面倒事」ではなく、「乗り越える価値のある挑戦」として捉え直すこと。これは精神論ではなく、上達の仕組みそのものに関わる話だ。

仕事のようにプレイする人は、ルールに従ってはいても、実は"プレイ"してはいない。逆説的だが、本気で上手くなりたいなら、まず本気で遊ぶ必要がある。

風呂キャンセル界隈というのがあるが、あれは身だしなみを整える行為が、人に会うための"仕事"に感じられるからだろう。

風呂そのものは気持ちいいはずなのに、「人に会うための義務」に見えた瞬間、ただの面倒事に変わる。LoLも同じだ。ゲームそのものは面白いはずなのに、「レートのための義務」に見えた瞬間、リプレイの確認も新しいチャンピオンの練習も、片付けたい作業になる。

参考文献

  • Suits, B. (1978). The Grasshopper: Games, Life and Utopia. University of Toronto Press. 邦訳:バーナード・スーツ『キリギリスの哲学:ゲームプレイと理想の人生』川谷茂樹・山田貴裕訳、ナカニシヤ出版、2015年。
  • Deng, D., Trepanowski, R., Li, M., Zhang, Y., Bujić, M., & Hamari, J. (2024). Streaks and Coping: Decoding Player Performance in League of Legends Using Big Data from Top Players' Matches. Companion Proceedings of the 2024 Annual Symposium on Computer-Human Interaction in Play (CHI PLAY Companion '24), 50–55. https://doi.org/10.1145/3665463.3678787
  • Kou, Y., Li, Y., Gui, X., & Suzuki-Gill, E. (2018). Playing with Streakiness in Online Games: How Players Perceive and React to Winning and Losing Streaks in League of Legends. Proceedings of the 2018 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems (CHI '18), Paper 578, 1–14. https://doi.org/10.1145/3173574.3174152

戦術の、その先へ

「LoLが上手くならないのは、操作技術以前に、このゲームへの“向き合い方”の問題ではないか?」一度でもそう疑ったことがあるなら。

その“向き合い方”を、社会学・心理学・行動経済学で解きほぐすのがこのニュースレター。週1の長文を、北川楓が書いている。

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